歴史書【論語】から《生き方を学ぶ④》第2章~為政(いせい)第9節~第16節…中編
権力者による数々の弾圧を乗り越えて今に伝わる《論語》…
偽善者が最も嫌い抑圧・抑制されてきた《論語》…
恥の文化を忘れたかごとく次々と起こる指導者の不正…
不正はびこる権力者に対する物言わぬ重圧の言葉…
現在に続く最古の哲学書・東洋の聖書…
指導者になるための条件とは…
指導者になるための心構えとは…
人間としての生き方を学ぶ…
生きていくための道しるべ…
本当の幸せとは・喜びとは…
多くのことを私たちに悟らせてくれます…
シリーズ第4回《第2章~為政(いせい)第9節~第16節…中編》
君子たる者の条件とは…
礼節・節度・謙虚…
広く大きな器とは…
人付き合いの広い、孔子ならではの人を見る、奥深い話が語られます。
孔子、政治を語る
第2章は私の大好きな政治の話です。
君子(指導者)の条件とは…
上に立つ人物(指導者)が兼ね備えていなければならない資質とは…
孔子は権力・利権に貪り付こうとする偽善者に対して鋭い指摘で、君子たるもの指導者たるものの心構えを説いています
広く皆が富を分け合い、分け隔てなく暮らして行ける国家体制を目指し弟子や周りの人たちに解いたのです
今回は一体どのようなことが書かれているのでしょうか?読むのがとても楽しみです
そして今回はどのような、ことわざ・名言が出てくるのでしょうか?そして今日でも使われている4文字熟語の話も紹介されているのでしょうか
心豊かに人生を送るためにも論語はとても良い読み物です、一緒に読み進め勉強していきましょう
引き続き前回までと被る内容が続きます
シリーズ4回目の記事に直接飛びたい方は下のリンクから呼び込むことができるのでご利用ください。⬇︎
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前回までの《生き方を学ぶ》シリーズをご覧になってない方は以下のリンクから、それぞれご覧ください
歴史書【論語】から生き方を学ぶ①…第1章~学而(がくじ)第1~8節…前編
歴史書【論語】から生き方を学ぶ②…第1章~学而(がくじ)第9~16節…後編
歴史書【論語】から生き方を学ぶ③…第2章~為政(いせい)第1節〜第8節…中編
この記事を初めて読まれる方はこのまま下の記事にお進み下さい
論語とは何か
紀元前500年代、今から2500年以上前に中国に実在した孔子と言う君子(くんし)の言葉をそのお弟子さんたちにより言い伝えられ現在でも広く使われている名言やことわざです
「へーこんなことわざも論語から来ているの!…」
「この4文字熟語は原点が論語なの!…」
知らず知らずのうちに日本人の生活に溶け込んで論語が使われています
そのような論語について書かれた書籍はたくさん出版されていますがその中で今回私が記事を書くにあたって参考にした本が…
書籍「完訳 論語」
井波律子(訳)「完訳 論語」
副題「論語 世界へのいざない」
論語の第1章から第20章、全512節の解説・解釈がされています
論語を全て網羅した現代語訳の数少ない本です
あなたにとっての生きるためのヒントが必ず見つかるでしょう
井波律子(訳)「完訳 論語」
岩波書店から発売されている井波律子さんが訳した論語の書籍「完訳 論語」です
この本は全編にわたり全ての論語の現代語訳がしっかりと書かれていて論語を勉強するにはもってこいのお勧めの一冊ではないでしょうか
この著書には論語の現代語訳とともに論語の意味・解説も記述されています
論語は読む人によってその解釈も変わって来ます
論語は読者が主役になれる本なのです
読者の思想・信条により論語の内容の捉え方は変わってくるのです
今回は私(そら)の解釈に沿って読み進め、記事を書いていきます
読者の皆様には私の思想・信条も見えてくるのではないかと思います
今回の記事や論語を読んで皆さんはどのように解釈されるでしょうか?
論語は各章が16~30節以上の『孔子やお弟子さんの発言された言葉』から構成されており第20章まで全部で512節あります
政(まつりごとを)を司(つかさど)る
シリーズ第4回目は第2章~為政(いせい)第9節〜第16節まで、記事にまとめて行きます
※為政(いせい)とは~政治を行うこと
※為政(いせい)の章は24節からなります、1〜8節までは前編、9〜16節までは中編、17〜24節までは後編として記事を書いていきます、第2章〜為政ではどのような名言が出てくるのでしょうかとても楽しみです
井波律子(訳)著書…歴史書【論語】から生き方を学ぶ…を私なりに解説し感想を述べた記事でシリーズ化してお届けしています
そして本記事はそれのシリーズ4作目となります
では早速!第2章~為政(いせい)中編…第9節目から読み進めていきましょう
第2章~為政(いせい)第9節
人は見かけによらぬもの
原文
- 子曰。吾與回言終日。不違如愚。退而省其私。亦足以發。回也不愚。
私の解釈
子曰(いわ)く。吾(われ)、回(かい)と言うこと終日。違(たが)わざること愚(ぐ)なるがごとし。
先生がおっしゃった。回くんと1日中、一緒に過ごしていると、私の言うことを何でも素直にハイハイと質問も言い返すこともせずに、聞き入れてくれるので、少し頭がおかしいんじゃないかと思う時もあります。
※回 … 孔子の第一の弟子。顔回(がんかい)と言う。ウィキペディア【顔回】参照。
※終日 … 一日中。
※違… ここでは、(ただハイハイとうなづき、疑問に思ったり、質問したりしない)。
※愚…ここでは、(馬鹿のよう)。
退(しりぞ)きて其(そ)の私を省(かえり)みれば、亦(ま)た以(もっ)て発(はっ)するに足(た)る。回や愚(ぐ)ならず。
しかし一旦、回くんの私生活を覗いてみると、なかなか、賢くてしっかりとした生活をしていて、返って私の方が教えられることが多々ある。回は馬鹿では無い、かなりの利口者だ。
※省 … 観察する。
※其 … 回を指す。
※私 … 私生活。
※以て…(…に)よって。…の理由で。
※発(はっ)する…気持ちや考えを外に現す。
※足… 十分できる。
私の感想
人は見かけによらぬもの。
どんな人でも仕草・格好だけで判断してはいけない、その人の本当の姿を知るためには、常日頃からよくその人の行いを知っておかなくてはならない。
見た目だけで、人を見くびったり、蔑(さげす)んだりすると後でえらい目にもあいますよと教えてくれているようにも思います。
勝手に人を判断してはいけない、相手がどんな人でも丁寧に誠意をもって接するということの大切さを教えてくれています。
とても勉強になります。
第2章~為政(いせい)第10節
ボランティアにしても町会活動にしても、見ていないようで周りの人は見ている。
ただその様な行為は人に良く見られるために行うものでもないし、人が見ている時だけ行うものでもない。
そのような行為はすぐに見抜かれるものであると同時にかえってその人の品性を疑われる。
奉仕活動と言うものは周りが見ていようが見ていまいが全ての人々に感謝し誠心・誠意、行うものである。
周りの人は日ごろの行いを見ている
原文
- 子曰。視其所以。觀其所由。察其所安。人焉廋哉。人焉廋哉。
私の解釈
子(し)曰(いわ)く。其(そ)の以(もっ)する所(ところ)を視(み)、其(そ)の由(よ)る所を観(み)、其(そ)の安(やす)んずる所を察(さっ)すれば、
先生がおっしゃった。その人の日頃の行いや動きを見て、なぜそのようなことをしているのかを観察すれば、その人の普段の人格を推察することができ、
※視…見てみる。〜を考えてみると。
※観 … 広く詳しく観察する。
※由…経歴。動機。
※安…日常の仕草。気兼ねなく過ごしているときの行動。
人(ひと)焉(いずく)んぞ廋(かく)さんや、人(ひと)焉(いずく」んぞ廋(かく)さんや。
人柄がよくわかると言うものです。人は自分を隠そうとしても、決して、隠せるものではない。
※焉~哉 … 「どうして~であろうか(いや~でない)」
※廋…かくす。
私の感想
非常に解釈が難しいと言うか…迷ってしまったが、孔子がおっしゃりたい事は…
例えば、普段の生活態度や行動が「何かあったときに自然と現れるものですよ」と、話し、「何かあったときだけ、都合の良いように繕ったり、見せびらかしたり、目立つような行動をとってもすぐにわかるものですよ」と言いたかったのではないでしょうか。
いろいろな解釈があると思いますが、私はこの詩を読んで上記のように解釈しました。
前節と似たような内容の詩だと思いました、人生経験豊富で人脈の広い、孔子先生ならではの人間観察で人の心の内面を鋭く捉えた詩ではないでしょうか。
第2章~為政(いせい)第11節
新しい発見を試みるときや、何か問題に突き当たった場合には、古くからの書物を読み、
昔の人が疑問や問題に突き当たった際に、どのように解決してきたかを勉強する事はとても有意義で参考になるものです。
《温故知新》人を導く人物とは
原文
- 子曰。温故而知新。可以爲師矣。
私の解釈
子(し)曰(いわ)く、故(ふる)きを温(たず)ねて新(あたら)しきを知(し)れば、以(もっ)て師(し)為(た)るべし。
先生はおっしゃいました。「古来からの教えを大切にして、新しい知識を勉強している人は、人を導く師(先導者)となることができるでしょう」。
※温 … 丁寧に復習する。研究する。
※故 … 過ぎ去った昔の事。もとからある。
※以て…〜によって。〜だから。
※為…資格がある。師為るべし(教師の資格がある)。
私の感想
もっとしっかりと解釈するとすれば…
「新しいことを始めようとした時に、いろいろな問題にぶつかります、そんな時には古くからの知識や言い伝えを学ぶことにより、新しい問題に対する答えが見つかることが大いにあります。
そのような古来のことも知識として持っている人・学ぶ人こそが、師(先導者)として人を導くことができる人物であると考えます」。
微妙に違う、二通りの解釈をしましたが、私は後者の方がシックリと頭に入ります。
第2章~為政(いせい)第12節
指導者たるも、人の上に立つ者の条件と…
私利私欲に溺れることなく、誠実な人柄と広く民衆に親しまれ、奉仕の気持ちを持ち、人の役に立ちたい、社会の役に立ちたいと純粋に思っている人のことです
指導者たるもの大きな器であれ!
原文
- 子曰。君子不器。
子(し)曰(いわ)く、君子(くんし)は器(き)ならず。
私の解釈
先生がおっしゃいました。「君子(先導者)たるもの、無機質な感情を持たない機械であってはならない」。
※君子 … 徳の高いりっぱな人。人格者。先導者。
※器 … 道具。機械。ひとつのことだけに役立つ器。
私の感想
私は、この第二章「為政」は政治について孔子先生が述べたものと捉えています、政治家を始めとした指導者・権力者とも言われる人たちに対して述べた詩であると言う観点から私の感想を書くことになります。
私たち民衆の代表である政治家、その頂点に立つ権力者たち、この者たちが、例えば、感情を持たず、法律や秩序だけを元に、政治や行政を行っていくのであれば、人々、民衆は常に緊張した状態で生活することを強いられ、そこに豊かさや幸せで暖かな国家像は感じられなくなるでしょう。
指導者の条件として一番、大事な事は法律を作り秩序を守らせることでは無く、すべての国民を平等に何、不自由なく、幸せに不安なく暮らせるように気を配る行政ができる人物でなくてはならない。
決して共産主義や社会主義を推し進めようと思っているわけではない…論語を学び、欧州を見て経済のあり方を学んできた《渋沢栄一》が目指した経済発展による国家の繁栄と民衆の生活の底上げによる人々の豊かさ幸せを話しているに過ぎない…
論語を学ぶと、「周りが苦しんでいる中で、1人だけ幸せになったとしても決して幸せにはなれない」と言う言葉が胸に突き刺さります…
このことをどう受け止めるかが指導者・君子としての重い課題になるのではないでしょうか?(※器が大きいのか、小さいのか、はたまた器自体がないのか…)
第2章~為政(いせい)第13節
《不言実行》君子たるもの、話はいい、まずは動け!その後で解け
原文
- 子貢問君子。子曰。先行其言。而後從之。
※先行其言 … 言うより先に行動する。
※而後従之 … 行動してから後に言う。
私の解釈
子(し)貢(こう)、君子(くんし)を問(と)う。子(し)曰(いわ)く。
子貢さんが君子(人の上に立つ者、指導者)としての在り方・人物像について先生に尋ねた。先生が答えた。
※君子 … 徳の高いりっぱな人。人格者。
※子貢 … 子貢(しこう)は字、姓は端木(たんぼく)、名は賜(し)。
先(ま)ず其(そ)の言(げん)を行(おこな)い、而(しか)る後(のち)に之(これ)に従(したが)う。
言葉を並べ立てるよりも、まずは自分から進んで実行・行動してみることです、そしてそれを踏まえた上で人に対して教えることができると言うことです。
私の感想
私が渋沢栄一をすごいと思うのは500や600と言う会社や公共施設を作ったというのもそうですが…
それらの会社や公共施設を創設するにあたって自らが動き先頭に立ち資金を出し、そしてまた多くの人たちに呼びかけて物事を進めていったというのが最大の尊敬すべきところだと考えています。
口だけ達者で全く動かないと言うような人もいますよね、例えば、私がボランティアで活動している町会でも何か行事がある度に、口先だけはペラペラと達者で全く動こうとしないものも偶にいます。
良い方法、効率的な方法があるのであれば、自分から少しでも動いて、見本というかやり方を見せて、そして周りの反応を見た上で、言葉もプラスして説明することによってみんなも納得すると言うことではないでしょうか。
下っ端の人間であれば、誰も相手にしないだろうが、君子(指導者)たるものは特にその辺を、わきまえていなければ多くの人が間違った方向に進むことになり取り返しのつかないことになると言う可能性を考えると、しっかりとまずは自分がやってみて確認してみて自信を持った上で実行に移すということが大切です。
孔子は「巧言令色すくなし仁」でも言葉の使い方について述べていましたが、言葉を繕(つくろ)ったり、巧妙に着飾った単語を用いたりしても実際にやってみたのかどうかが1番大事だということを解いたのだと思います
第2章~為政(いせい)第14節
真の信頼関係とは…
礼儀と節度を持った誠実な態度で相手に接することが大切です
なれなれしく派閥を作るような付き合いは長続きしませんし、そこには真の信頼関係も真の友情も生み出される事はありません。
真の人間関係・信頼関係のあり方とは
原文
- 子曰。君子周而不比。小人比而不周。
私の解釈
子(し)曰(いわ)く、君子(くんし)は周(しゅう)して比(ひ)せず。
先生はおっしゃった。賢い人は誠実な態度で礼儀を持って人と接するが、節度を越えて慣れ親しんだような態度を取ることはない。
愚民・凡人は、慣れ親しんだ態度を持って接して来て派閥を作るが、そこには決してお互いの誠実さや心のこもった言葉は持ち合わせていない。
※周…誠実な態度で節度を持って広く公平に接すること。
※比…利害関係で私利・私欲が見え隠れするような関係。
先生は言われた君子は誠実さと節度を持って人と交わるが慣れ親しむことはない小人は慣れ親しむが誠実さと節度を持って交わらない
私の感想
この事も何かぞっとさせられます、賢い人というものは礼儀と節度を持って人に接し、話をするものであり、決して慣れ親しんだような態度で接することはない。
凡人、愚民は馴れ馴れしく人に近づき、親しい素振りを見せて、人付き合いをしようとしますが、そこには本当の信頼関係、真の人間関係は生まれないものです。
なにか、居酒屋などの飲み屋で馴れ馴れしく近寄ってくる酔っ払いのことのようですが、同じように友人関係や知人など、人付き合いの人選びも大切なことだと改めて考えさせられました。
政治に関しては自分たちだけが良ければ後はどうでもよいというような仲間意識で政治を行うような輩達のような人たちのことも孔子先生はおっしゃっているのではないでしょうか
第2章~為政(いせい)第15節
学ぶ事は納得する事
原文
- 子曰。學而不思則罔。思而不學則殆。
私の解釈
子(し)曰(いく)、学(まな)びで思(おも)わざれば則(すなわ)ち罔(くら)し。
先生がおっしゃった、先生から幾ら学んだり、書物を読み、頭に知識を溜め込んでも、自分で考えて勉強して理解し納得したものでなければ、記憶にも残らず、役に立つこともないでしょう。
※罔 … 何も残らない。役に立つこともない。得るものがない。
思いて学(まな)ばざれば則(すなわ)ち殆(あや)うし。
その反対に、自分流に勉強したり、考えるだけで、専門的な知識のある先生から学ばなければ深い知識と理解は得ることはできず、間違った方向に進む可能性も出てくる。
両方のバランスがとても大事です。
※則…~であるならば〜
※殆 … 危と同じ。危険である。
私の感想
誰の影響も受けずに、自分流に仕事をしたり、趣味を楽しんで新しい領域を発見すると言う可能性もあります。
しかし、それ以上に専門的な知識を学んだりした上で、自分なりの独自のやり方で仕事や趣味に役立てて行くならば、やはり土台が高い分、革新的なことを見つけ出す確率が増えるということでしょう。
先生から知識を学んだり書物を読んでも、理解せずにそのままにしておくことが、最も無駄なことでしょう。
第2章~為政(いせい)第16節
色々な意味に使われると思います…
1つのことに集中せずにあれもやりたいこれもやりたい、そう思っているうちにすべてのものがうまくいかなくなってしまうと言うような例え。
勉強も仕事も趣味もいろいろ興味を持つのは良いことだが、1つに絞って進めることが最終的には良い結果につながる。
二兎追うものは、一兎をも得ず
原文
- 子曰。攻乎異端。斯害也已。
子(し)曰(いわ)く、異端(いたん)を攻(おさ)むるは斯(こ)れ害(がい)あるのみ。
私の解釈
先生がおっしゃった、正当な学問から外れて、突拍子も無い説を取る学問を学ぶことは、横道にそれて自分を見失う危険性があり目標から遠ざかるばかりです。
※異端 … 正しくない教え。正統でない教え。
※攻…治める。踏こむ。
私の感想
学門も含めて、自分の興味あるもの、好きな事に専念すべきで有り、一時的に関心が湧いたものや、何でも感でも学ぼうとするのは、初めの目標を見失い、横道にそれてしまうことになる。
人の上に立つと言う事は、専門的な知識を極限まで研究して、初めて人並み外れた知識を得てそれを実践の場で役に立てると言うことなのです
例えば、人と同じようにやってたり、あれもやりたいこれもやりたいと、言うような気持ちで勉学に励んでいるのであれば、凡人として終わるのは目に見えています
やはりなんでも一筋に努力をし、その道を極めることによって、その分野が発展しさらに人のために役に立つ知識や技術が生まれると言うことです。
まとめ
シリーズ第4回目《生き方を学ぶ》第2章〜為政…第9節〜第16節まで、君子(指導者・権力者)たるものの条件や心構え、生き方について書かれていました。
もちろん君子だけではなく私たち一般国民・民衆においても生きていく上で心がけておかなければならない条件です。
人々を導き先導する人物の条件というものは、例えば、自らが率先して動き、人々の見本となり、誠実に物事に取り組み、己の利益を求めず、多くの人々のために身を粉にして働き生きていく人物のことを指します。
人の上に立つということはこれだけ大変なことなのです。
むやみやたらに利権や権力を求めて指導者になろうと言うものは国民を不幸にするばかりか、己の生き方も不幸にしていることをわきまえるべきです。
今、現在、権力の中枢にいるものたちは、孔子先生をはじめとして二宮金次郎や渋沢栄一の人物像を頭に叩き込み指導者としての生き方を見習い、広くすべての国民が幸せを感じ幸福に生きて行けるような国づくりを進めて行かなくてはなりません…
今回も最後までお読みいただいてありがとうございました。
ではまた次回の記事でお会いしましょう。