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歴史書【論語】から《生き方を学ぶ③…第2章~為政(いせい)第1節~第8節…前編》政治(まつりごと)を司(つかさど)る

論語 現代語訳 全文
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歴史書【論語】から《生き方を学ぶ③…第2章~為政(いせい)第1節~第8節…前編》政治(まつりごと)を司(つかさど)る

権力者による数々の弾圧を乗り越えて今に伝わる《論語》…

偽善者が最も嫌い抑圧・抑制されてきた《論語》…

恥の文化を忘れたかごとく次々と起こる指導者の不正…

不正はびこる権力者に対する物言わぬ重圧の言葉…

現在に続く最古の哲学書・東洋の聖書…

混沌とした、今の時代を生きるための答えが見えてきます…

人間としての生き方を学ぶ…

生きていくための道しるべ…

本当の幸せとは・喜びとは…

そして多くのことを私たちに悟らせてくれます…

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第2章〜為政(いせい)…政(まつりこと)を司(つかさど)る

孔子、政治を語る

第2章は私の大好きな政治の話です

※(社会に対する孝行、親に対する孝行に関する節も登場します。)

一体どのようなことが書かれているのでしょうか?読むのがとても楽しみです

そして今回はどのような、ことわざ・名言が出てくるのでしょうか?そして今日でも使われている4文字熟語の話も紹介されているのでしょうか

心豊かに人生を送るためにも論語はとても良い読み物です、一緒に読み進め勉強していきましょう

引き続き第1回目と被る内容が続きます

第3回目の記事に直接飛びたい方は下のリンクから呼び込むことができるのでご利用ください。⬇︎

歴史書【論語】から生き方を学ぶ③第2章~為政(いせい)第1~8節…前編

生き方を学ぶ…シリーズ①・②をまだご覧になってない方は以下のリンクから、それぞれご覧ください

歴史書【論語】から生き方を学ぶ①…第1章~学而(第1~8節)前編

歴史書【論語】から生き方を学ぶ②…第1章~学而(第9~16節)後編

この記事を初めて読まれる方はこのまま下の記事にお進み下さい

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論語とは何か

紀元前500年~400年代、今から2500年以上前に中国に実在した孔子と言う君子(くんし)の言葉がそのお弟子さんたちにより言い伝えられ現在でも広く使われている名言やことわざです

「へーこんなことわざも論語から来ているの!…」

「この4文字熟語は原点が論語なの!…」

知らず知らずのうちに日本人の生活に溶け込んで論語が使われています

そのような論語について書かれた書籍はたくさん出版されていますがその中で今回私が記事を書くにあたって参考にした本が…

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書籍「完訳 論語」

井波律子(訳)「完訳 論語」

井波律子(訳)「完訳 論語」

副題「論語 世界へのいざない」

論語の第1章から第20章、全512節の解説・解釈がされています

論語を全て網羅した現代語訳の数少ない本です

あなたにとっての生きるためのヒントが必ず見つかるでしょう

楽天ブックのレビューを見る

アマゾンのレビューを見る

岩波書店から発売されている井波律子さんが訳した論語の書籍「完訳 論語」です

この本は全編にわたり全ての論語の現代語訳がしっかりと書かれていて論語を勉強するにはもってこいのお勧めの一冊ではないでしょうか

この著書には論語の現代語訳とともに論語の意味・解説も記述されています

論語は読む人によってその解釈も変わって来ます

論語は読者が主役になれる本なのです

読者の思想・信条により論語の内容の捉え方は変わってくるのです

今回は私、(そら)の解釈に沿って読み進め、記事を書いていきます

読者の皆様には私の思想・信条も見えてくるのではないかと思います

今回の記事や論語を読んで皆さんはどのように解釈されるでしょうか?

論語は各章が16~30節以上の『孔子やお弟子さんの発言された言葉』から構成されており第20章まで全部で512節あります

第3回目は第2章~為政(いせい)第1〜8節の名言について記事にまとめて行きます

※為政(いせい)とは~政治を司ること

※第2章~為政(いせい)は24節からなります、1〜8節までは前編、9〜16節までは中編、17〜24節までは後編として記事を書いていきます

第2章〜為政ではどのような名言が出てくるのでしょうかとても楽しみです

井波律子(訳)著書【完訳 論語】…を私なりに解説し感想を述べた記事でシリーズ化してお届けしています

そして本記事は「生き方を学ぶ」の第3回目となります

では早速!第2章~為政(いせい)第1節目から読み進めていきましょう

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第2章~為政(いせい)第1節

指導者よ!北極星であれ!

北極星

夜空の中心に鎮座し、星星の道筋を照らし続けるかのごとく光輝く北極星。

孔子は指導者たる者の、威厳と覚悟を夜空の星星に例えて説いていました。

今から2500年も前の話です…

  • 子(し)曰(いわ)く。政(まつりごと)を為(な)すに徳(とく)を以(もっ)てす。譬(たと)えば北辰(ほくしん)の其(そ)の所に居て、衆星(しゅうせい)の之(これ)に共(むか)うがごとし

私の解釈

子(し)曰(いわ)く。「政(まつりごと)を為(な)すに徳(とく)を以(もっ)てす」。

先生は言われた。「政治を行うに当たっての基本である道徳と倫理は決して忘れてはならない、国家と国民に身を捧げるほどの覚悟を持って正義と信念を貫くものである」。

※政 … 政治

※徳 … 道徳、倫理、正義

譬(たと)えば北辰(ほくしん)の其(そ)の所に居て、衆星(しゅうせい)の之(これ)に共(むか)うがごとし

そのような心がけで挑むのであれば、それはあたかも北極星が夜空の中心に鎮座し道筋を照らすかの如く光輝き、それを囲み、幾多の星が迷うことなく規則正しく回り続けるようなものであろう」。

※北辰(ほくしん)…北極星

※衆星 … 多くの星

※共 … ともに、ここでは、幾多の星(衆星)

私の感想

いかがですか⁈この孔子先生の言葉(政治を夜空の星に例えた話し)!

夜空に浮かぶ北極星と、その周りにちりばめられた、数々の星星に、例えて政治の指導者の姿と政治の有り様を説いた言葉です!

ガリレオよりも早く地動説を理解していたのではないかと思われるほどの孔子の言葉…それは置いて起き…

現在の政治はどうかと見渡してみれば、ため息どころか失望を通り越して外道である、嘘・偽り、、癒着・談合が当たり前のように蔓延(はびこり)りとどまるところを知らない

もっともっと多くの人が政治に関心を持ち賢くなり立派な先導者が現れる世の中にしたいと思います

※論語~第2章…《為政》ではいきなり政治の基本たる考え方について述べられているところが何とも言えません

それと同時に2500年以上も前に生きた、孔子先生が夜空の北極星にその思いを例えて言われたというのがなんともロマンチックです

難しい、暗い、話題になるような政治の話も自然の出来事から拾い出しお弟子さんや広く多くの人々に訴え続ける様が目に浮かびそうです

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第2章~為政(いせい)第2節

孔子を支えた《詩経》

詩経

詩経〜しきょう、中国最古の詩篇である。儒教の基本経典・五経あるいは十三経の一。漢詩の祖型。もともと舞踊楽曲を伴う歌謡であったと言われる。

子(し)曰(いわ)く、詩(し)三百(さんびゃく)、一言(いちげん)以(もっ)て之(これ)を蔽(おお)えば、曰(いわ)く、思(おも)い邪(よこしま)無(な)し。

私の解釈

子(し)曰(いわ)く、詩(し)三百(さんびゃく)、一言(いちげん)以(もっ)て之(これ)を蔽(おお)えば、曰(いわ)く、思(おも)い邪(よこしま)無(な)し。

先生がおっしゃった、『詩経』300篇の詩を総括して一言で表現するとすれば、「思いのまま、ありのまま、嘘・偽りがないと言うことだろう」

※詩…詩経、孔子一門が教義に使った教本

※蔽えば…おおい尽くす、全てを網羅する

※思い邪無し … 思いに邪念がない

私の感想

孔子一門は《論語》を後世に残すことになるのだがその先駆けとも言える教本が《詩経》なのです

孔子がこの《詩経》について聞かれ一言で言いあらわせばと言う問いかけに、「思いのまま、ありのまま、嘘・偽りがないと言うことだろう」と自信を持って答えたのは…

《詩経》を何度も何度も熟読し生き方を学び、世の中のあり方を学び、そしてそれを土台に弟子たちが更に進化した生き方を学ぶ…教本を《論語》と言う形で創り上げたと言うことです

※『詩経』は古代の歌謡集で300篇以上の詩が収録されており、3部で構成されています

  • 第一部は黄河流域の諸国とその他の地域を合わせて160篇を収録した「国風」
  • 第二部は周王朝の時代の詩を合わせて105篇を収録した詩集
  • 第三部は国家の祖先の功(こう)を讃える詩で合わせて40篇を収録した「頌(しょう)…周頌(しゅうしょう)、魯頌(ろしょう)、商頌(しょうしょう)があります」
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第2章~為政(いせい)第3節

力で民衆を支配することはできない!

礼儀を持ってお互いを思いやる気持ち

国を統治するにあたっては、法律を増やし罰則を強化するのではなく、お互いに感謝しあい、お互いに思いやり、謙虚に生きて行ける国家

恥の文化を忘れる事なく、礼儀を持ってお互いを理解しあい協力して暮らしていける国家を目指すべきである

  • 子(し)曰(いわ)く、之(これ)を道(みちび)くに政(まつりごと)を以(もっ)てし、之(これ)を斉(ととの)うるに刑(けい)を以(もっ)てすれば、民(たみ)免(まぬが)れて恥(はじ)無(な)し。之(これ)を道(みちび)くに徳(とく)を以(もっ)てし、之(これ)を斉(ととの)うるに礼(れい)を以(もっ)てすれば、恥(はじ)有(あ)りて且(か)つ格(ただ)し。

私の解釈

子(し)曰(いわ)く、之(これ)を道(みちび)くに政(まつりごと)を以(もっ)てし、

先生が説いた、国民・民衆を統治・先導するために法律や決まりごと、を定めて国家をつかさどろうします、

※之 … 人民。

※道 (みちび)く…指導・教育する。

※政(まつりごと) … 政治。法律・取締りなど政治的規制を広く意味する。

※「~以(もっ)…」 … 「~するには…を用いて」。

之(これ)を斉(ととの)うるに刑(けい)を以(もっ)てすれば、民(たみ)免(まぬが)れて恥(はじ)無(な)し。

しかし法律や決まり事を守らせるために刑罰を用いて秩序を維持しようとするのであれば、国民(特に権力者)は罪を逃れるために法の抜け道を探し、全く恥じることなく悪事を働くでしょう。

※斉 (ととの)う… 統制する。

※刑 … 刑罰。

私の感想

今日の様な無様(ぶざま)な政治権力者の姿を2500年以上も前に予言していたのではないかと思われるくらいに孔子先生は説いています

権力中枢で嘘偽りの悪事をはたらき、《何食わぬ顔》で罪を逃れたとしても…

果たしてその人の心に和(やす)らぎや生きている喜びがあるのだろうか…

私には哀れにさえ思えてきます…

之(これ)を道(みちび)くに徳(とく)を以(もっ)てし、之(これ)を斉(ととの)うるに礼(れい)を以(もっ)てすれば、

このことを考えた時に法律や決め事を次々と創り出したり、強化するのではなく、お互いに感謝しあい、お互いに思いやる心があり、皆が礼儀をわきまえて謙虚に生きて行ける国を目指すのであれば、

※徳 … 道徳。

※礼 … 礼儀。

恥(はじ)有(あ)りて且(か)つ格(ただ)し。

人様に迷惑をかけたり、自分のことだけを考えて生きている気持ちを恥じて、その上で、自分から進んで、真っ当な生き方をすることでしょう

※且 (かつ)… その上に…。更には…

※格(ただ)し … 正しい方向性。真は間違っていない。

私の感想

孔子先生が生きた時代も、きっと乱世だったのでしょう、人々を統治するために権力が濫用され、国家は荒廃し人々は苦しみの中で生活していたのでしょう。

そのような時代だったからこそ、先生のような優れた哲学者・指導者とも言えるような賢者が現れたのかもしれません

先行きが見えない今世、権力に媚び《礼》を忘れ《恥》を捨てたとも思えるような権力者の醜態が続きます

孔子先生には現代にも蘇って我々を導いて欲しいものです…

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第2章~為政(いせい)第4節

孔子、生き方を学ぶ…

  • 子(し)曰(いわ)く、吾(われ)十(じゅう)有(ゆう)五(ご)にして学(がく)に志(こころざ)す。三十(さんじゅう)にして立(た)つ。四(し)十(じゅう)にして惑(まど)わず。五(ご)十(じゅう)にして天命(てんめい)を知(し)る。六十(ろくじゅう)にして耳(みみ)順(したが)う。七十(しちじゅう)にして心(こころ)の欲(ほっ)する所(ところ)に従(したが)いて、矩(のり)を踰(こ)えず。

私の解釈

子(し)曰(いわ)く、吾(われ)十(じゅう)有(ゆう)五(ご)にして学(がく)に志(こころざ)す。

先生がおっしゃった、私は15歳にしてようやく勉強を始めることができた。

※学…学問

※有…(ゆう)と読む。〜と又。とまた〜ここでは「十とまた五歳」。

三十(さんじゅう)にして立(た)つ。四(し)十(じゅう)にして惑(まど)わず。

三十歳にして一通り学問の基本は習得し一人でも考えを巡らすことができるようになった。四十歳にして方向性を迷うことなく決断することができるようになった

※立 … 一通り基礎学問を習得する

※惑 (まど)わず… 迷いがなくなる。自信を持つことができるようになった。

五(ご)十(じゅう)にして天命(てんめい)を知(し)る。六十(ろくじゅう)にして耳(みみ)順(したが)う。

50にして自分の生きる目標を知ることができた。60にして周りを見渡すことができるようになり他の人の話も冷静に聞けるようになった

※耳順 … 人の話を冷静に聞くことができる。心に余裕が出てきた。

七十(しちじゅう)にして心(こころ)の欲(ほっ)する所(ところ)に従(したが)いて、矩(のり)を踰(こ)えず。

70で自分のありのままに思い・感じ、行動したとしても常識・社会道徳に反するようなことは起こさなくなった

※心・所・欲 … 自分の意のまま・好きな時に・欲しいままに。

※矩 (のり)… 常識。規範。道理。

※踰(こ) … (常識を)ふみはずす。

この孔子の言葉から

  • 十五を「志学(しがく)」
  • 三十を「而立(じりつ)」
  • 四十を「不惑(ふわく)」
  • 五十を「知命(ちめい)」
  • 六十を「耳順(じじゅん)」
  • 七十を「従心(じゅうしん)」

と言うようになったのです

私の感想

孔子の父親は幼少期の時に早くも亡くなり、母親は必死に働きながら孔子を育てたものの、無理が祟った母親も孔子が17歳の時には亡くなったと言われています

そんな中で15歳になって初めて書物に触れ《詩経》をはじめとした書物に心動かされて学問の道に進むことになったのです。

孔子は奉公しながら紀元前525年、28歳の時に当時の中国、国内にあった小国、魯(ろ)の国の士官として仕えます、そしてその7年後初めて弟子を取り遊学の旅へと出かけることもあったようです、孔子、35歳の年です

40代から50代にかけて学問に自信を深めた孔子は出仕します。

※出仕…官職につくこと。

やがて魯(ろ)の君主定公に抜擢されて大司寇(だいしこ…現在の司法長官)となり魯の実権を握る三大貴族の一人になる

その後、組織改革に取り組んだものの既得権益側の反発にあい、魯(ろ)の大司寇(だいしこ)を辞することになった。

そして、紀元前497年に魯を去り、その後、14年間、弟子を伴い政治理念を理解してくれる君主を求め国々を遊説した。孔子、55歳の時です。

しかし政治に対する高い理念と理想を求める孔子に対してそれを理解する君主はなかなかおらず、紀元前484年に魯に帰国することになったのです。孔子68歳の年でした。

その後は弟子の教育と著述に専念し、紀元前479年73歳で生涯を終えました。…

孔子が生きていた時代には自分の夢は叶いませんでしたが、孔子の思いは2500年以上経った、現在においても広く受け継がれ多くの人の生きていくための《道しるべ》となっているのではないでしょうか。

不運な幼少期から、志を高く掲げた少年時代、そして仕官して改革に燃えた青年時代、意欲的に国内を旅した壮年時代、そして祖国に帰ってからの弟子の育成や説法

この詩は孔子の生涯にわたる軌跡を簡潔にとてもわかりやすく表しています。

そして現在においても私たちの人生の指標として勇気を与えてくれる詩の一つなのではないでしょうか…

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第2章~為政(いせい)第5節

出来が良くない子ほど、かわいい…

孔子にはたくさんの弟子がいたと言われています

その中にはあまり出来の良くない弟子もいたようです

しかしそんな弟子でも可愛がり、世の中や家族の在り方について、説法したと言われています

  • 孟懿子(もういし)、孝(こう)を問(と)う。子(し)曰(いわ)く、違(たが)うこと無(な)かれ、と。樊遅(はんち)御(ぎょ)たり。子(し)之(これ)に告(つ)げて曰(いわ)く、孟孫(もうそん)、孝(こう)を我(われ)に問(と)う我(われ)対(こた)えて曰(いわ)く、違(たが)うこと無(な)かれ、と。樊遲(はんち)曰(いわ)く、何(なん)の謂(いい)ぞや、と。子(し)曰(いわ)く、生(い)きては之(これ)に事(つか)うるに礼(れい)を以(もっ)てし、死(し)しては之(これ)を葬(ほう)むるに礼(れ)を以(もっ)てし、之(これ)を祭(まつ)るに礼(れい)を以(もっ)てす。

私の解釈

孟懿子(もういし)、孝(こう)を問(と)う。子(し)曰(いわ)く、違(たが)うこと無(な)かれ、と。

孟懿子(もういし)が「親孝行とはどういうことをすることですか?」と質問した。すると先生が簡潔に答えた「外れない様にされることです」。

※孟懿子 … 魯の家老。ウィキペディア【三桓氏】参照。

※無違 … 礼儀を外れてはならない

樊遅(はんち)御(ぎょ)たり。

若い弟子の樊遅(はんち)が帰りの馬車を走らせた。

樊遅…孔子の弟子。名は須。

※御 … 御者ぎょしゃ。馬車を走らせる人。

子(し)之(これ)に告(つ)げて曰(いわ)く、孟孫(もうそん)、孝(こう)を我(われ)に問(と)う我(われ)対(こた)えて曰(いわ)く、違(たが)うこと無(な)かれ、と。

孔子先生は先ほどの孟懿子もういし)との話を樊遅(はんち)に教えてあげて、「親孝行とはどういうことをすることですか?」と質問されたので…「外れないようにすることです」と答えたと言う話をされた。

※対 … 目上の人に答えるときに「対」を使う。

樊遲(はんち)曰(いわ)く、何(なん)の謂(いい)ぞや、と。

樊遅(はんち)はその話を聞いて…「外れないようにすることです」…とはどうすることですか?と、聞き返してきた。

※樊遅 … 孔子の弟子。姓は樊、名は須、字は子遲(遅)。孔子より36歳年下。

※何謂… 。。。とは、どういう意味なんですか?

子(し)曰(いわ)く、生(い)きては之(これ)に事(つか)うるに礼(れい)を以(もっ)てし、死(し)しては之(これ)を葬(ほう)むるに礼(れい)を以(もっ)てし、之(これ)を祭(まつ)るに礼(れい)を以(もっ)てす。

若い樊遅(はんち)の質問に、先生は丁寧に説明してあげた、「両親が生きている間は、一生懸命に礼儀を持ってお手伝いをして、両親が亡くなった時は礼儀を持って、滞りなく葬式を行い、その後も供養を忘れることなく、丁寧に礼儀を込めて奉(まつ)ることです。

※事 … 手伝う。奉仕する。

※之 … ここでは亡くなった両親を指す。

※祭 … 霊を祀り、供養する。法要を営む

私の感想

物分かりが悪い弟子ほど可愛くて、わざわざ話を聞かせ、丁寧に教えてあげたのではないでしょうか

孔子は樊遅(はんち)のことを可愛がり、御者以外にも、用心棒がわりにどこに行くにも連れて歩いたそうです

四十歳近くも歳が離れた孫ほどの、お弟子さんにも心配りを見せて説法するところが、孔子先生の優しいところです

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第2章~為政(いせい)第6節

親孝行とは…

親孝行

親に対する孝行、社会に対する孝行を孔子はわかりやすくお弟子さんに説いたとのことです

孝行することの大切さ親を思うことの大切さ社会の中で自分が果たすべき役割

本当の孝行とは何か…

孝行することにより自分自身が成長し幸せな人生を送ることができると孔子先生は説いたのでしょう

  • 孟武(もうぶ)伯(はく)、孝(こう)を問(と)う。子(し)曰(いわ)く、父母(ふぼ)は唯(た)だ其(そ)の疾(やまい)を之(こ)れ憂(うれ)う。

私の解釈

孟武(もうぶ)伯(はく)、孝(こう)を問(と)う。

孟武伯が親孝行とはどういうことですかと先生に尋ねた。

※孟武伯…孟懿子もういし)の子。

※孝…親孝行。

子(し)曰(いわ)く、父母(ふぼ)は唯(た)だ其(そ)の疾(やまい)を之(こ)れ憂(うれ)う。

孔子先生が説いた、「両親の健康だけ気遣いしてあげればよろしい」。

だ…唯一。それさえ。

の…ここでは、子または親。

私の感想

この詩の解釈には二通りあると言われています。

孟武伯が父母を想い親孝行について聞いた質問に孔子が…

  • ①子供は、ただただ、親の健康を気遣いして優しく接しているだけで親孝行になるんだよ…と説いたとされる説と…
  • ②「…唯だ其の疾…」という詩の部分から…両親が子に願う親孝行というものは《子供が健康に育ってくれる》こと自体が親孝行なのだよ…と説いたと、される説…

私が思うには孔子が説いた説は、①の金品物品よりただただ、親の健康を気遣い見守ってあげる事こそが最大の親孝行なのだよと説いたと思います。

②の説も分かりますが…親が子供を想う気持ちは、子が親を思う気持ちの何十倍、何百倍も大きな優しさと親しみを持って包み込んでいます。

孔子は、そのことを孟武伯に説明した上で、また、説明しなくとも孟武伯に「両親を大事にしなくてはいけないのだよ」と分かりやすく説いたと思います。

第2章~為政(いせい)第7節

親を敬う心は自分を成長させる

  • 子游(しゆう)、孝(こう)を問(と)う。子(し)曰(いわ)く、今(いま)の孝(こう)は、是(こ)れ能(よ)く養(やしな)うを謂(い)う。犬馬(けんば)に至(いた)るまで、皆(みな)能(よ)く養(やしな)うこと有(あ)り。敬(けい)せずんば、何(なに)を以(もっ)て別(わか)たんや。

私の解釈

子游(しゆう)、孝(こう)を問(と)う。

子游が「親孝行とはどんなことをするのですか?」と質問した。

子游…(しゆう)と読む。紀元前506年 – 紀元前443年?)は、中国春秋時代儒学者で、孔子の弟子のひとり。文学(学問の才能)に優れていたといい、孔門十哲のひとりに数えられる。子游は、姓は(げん)、名は(えん)。

子(し)曰(いわ)く、今(いま)の孝(こう)は、是(こ)れ能(よ)く養(やしな)うを謂(い)う。

今時、の親孝行は、金品物品、衣食住を与え、一緒に住んで扶養していれば十分だと考えてるようです。

※今…いまどき。

※能…良く。十分に。

※謂 … ~の様です。~について批評する。

犬馬(けんば)に至(いた)るまで、皆(みな)能(よ)く養(やしな)うこと有(あ)り。

しかし、人と同じように、犬や馬もかわいがり、餌を与え寝床を作り養っている。

敬(けい)せずんば、何(なに)を以(もっ)て別(わか)たんや。

医食住を与えて十分、親孝行しているという風に思っているのであれば、何ら、犬馬と変わりのない扱いをしている、という風に、見られても致し方ないかもしれない。

最も大事なのは敬愛の念をこめて優しく接してあげることが一番の親孝行であろう。

※敬 … うやまう。尊敬する。

※何を以て別たんや… どうして区別できようか、区別できない

私の感想

この詩は、訳さなくてもなんとなく内容がわかるような気がするのではないでしょうか?…

親孝行に関しては、孔子先生は幾度となく説いています、そしてこの章の前の章でも取り上げましたが、親孝行というものを、若い人たちになぜ幾度も教えるのか・幾度ども論語で取り上げられているのか…

孝行を教えるのは当たり前なのだが、本当の意味は《子が親を思う以上に、親が子を想う気持ちが大きい》のだと言うことを、弟子たちに優しく説法をし親を大事にしなさいと、説いたのではないかと感じます。

特に子游は先生とは45歳も年が離れており、他のお弟子さんとはまた違った親孝行というものの解釈をわかりやすく説いてあげたのでしょう。

第2章~為政(いせい)第8節

公の場で人の為に孝行する大切さ

  • 子夏(しか)、孝(こう)を問(と)う。子(し)曰(いわ)く、色(いろ)難(かた)し。事(こと)有(あ)れば、弟子(ていし)其(そ)の労(ろう)に服(ふく)し、酒食(しゅし)有(あ)れば、先生(せんせい)に饌(せん)す。曾(すなわ)ち是(ここ)を以(もっ)て孝(こう)と為(な)さんや。

私の解釈

子夏(しか)、孝(こう)を問(と)う。

子夏が孝行について先生に尋ねた。

子夏…(しか、紀元前507年 – 紀元前420年?)は、孔子の門人、学問を好み孔門十哲の一人とされる。子夏は、姓は(ぼく)、名は。孔子より44歳年少。

子(し)曰(いわ)く、色(いろ)難(かた)し。

孔子先生が言われた、「両親もそうだが、大人達は、催し物や行事などがある時、忙しく大変で苦労していても、なかなかその表情や仕草を子供や若い人には見せないものです」。

※色…表情や、しぐさ。

※難 … 難しい。

事(こと)有(あ)れば、弟子(ていし)其(そ)の労(ろう)に服(ふく)し、酒食(しゅし)有(あ)れば、先生(せんせい)に饌(せん)す。

行事や家事で忙しい際には、子供や若い人たちは、率先して手伝いをし、催事や行事の際には配膳を手伝ったり、年長者にお酒を勧めたり、周りを見回して、気を使ってあげることも孝行の一つです。

※事…仕事。行事。労働。

※弟子 … ここでは若者。子供。

※服 … 従事する。

※先生 …ここでは先に生まれた人。年長者。

※饌 … 食事をすすめる。

曾(すなわ)ち是(ここ)を以(もっ)て孝(こう)と為(な)さんや。

だから両親に孝行するのと同様に、公(おおやけ)においても、周りに気を使い、自ら率先して事に当たる事が孝行というのではないだろうか。

※曾 … 要するに。だから。

※~是を以て~ … ~こういうわけで~

私の感想

孔子が子游と共に可愛いがった子夏に大しても孝行の意味を説いたものです。

ただ、ここで述べている孝行と言う意味は、両親に対する親孝行のみならず、社会全体、組織全体、公共の場においての孝行のことも含めて孔子先生は説いたのではないかと、私は感じ、上記のように解釈しました。

孝行についてこれまでに4節の中で述べられてきましたが、それぞれ皆違う説法でとても勉強になります。

また質問されたお弟子さんにもそれぞれ違った説法をしたのはそれぞれの個性や考え方に合わせて一番わかりやすく孝行について説いてあげたのではないかと思います。

孔子先生の視野の広さと学識の高さを改めて思わされると共に、若いお弟子さん達、一人一人に丁寧に、答えてあげる、先生の優しい、人柄もまた見えてくるようです。

まとめ

第2章〜《為政》の前編では政治の話から、孝行の話まで記事に取り上げることになりました

第1節では指導者として務めるにあたっては、相当の覚悟を持って地位に着かなければ、権力に溺れた、1部の愚か者達のために、腐敗した国家となり、国民・民衆は苦しみ、先の見えない世の中になってしまうとの警告を孔子先生は説いていたように思います

そして孝行の話も出ましたね、親に対する孝行、また社会全体に対する孝行、自分を成長させる為にも孝行する事はとても大事なことだと、先生は説いていました

私自身も、体が不自由になるまでは、町会の車両管理のしごとや文化厚生部の仕事・総務の仕事、等々、お手伝いをして少しでも地域に貢献できるように頑張っていました。

現在は体の回復のために休ませて頂いていますが、また元気になったら、お世話になっている、町会に貢献したいと思っています。

長い記事になりました

今回も最後までお読みいただいてありがとうございました

また次の記事でお会いしましょう。

執筆者〜そら

参考文献

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渋沢栄一 人物伝
生き方を学ぶ①
生き方を学ぶ②

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